2012年1月19日

私の神の一手

碁の歴史に数多く残る名手の中でも、私が一際カッコいいと思うのが、「岩田打ち殺し」と呼ばれるものである。藤沢秀行著の手筋事典で初めてこの手を見たときには、「一生に一度はこんな手を打ってみたいものだなあ」などと思ったりしたものだが、手筋の機能美と様式美が集約された最高の一手であると思う。仮に「神の一手」というものがあるとしたら、私が理想とする神の一手はこの手と言えるかもしれない。


1875年 黒 岩田右一郎 白 石谷広策

手元に藤沢秀行の手筋事典が無いので確認しようがないが、「打たれた瞬間に脳溢血を起こしそうな手」とか、「対局者の岩田右一郎はこの一手だけで歴史に名を残した」という風な解説がなされていたと記憶している。ただしこの手を打たれて本当に死んだわけではなくて、後年同じ相手との対局中に急病で亡くなったらしく、それが打ち殺しの由来になっているとか。

手の意味としては、上辺の攻め合いが焦点になっているところなので、黒は手数を伸ばすか中央に脱出したいわけです。仮に白が2にツナグと・・・


21まででABが見合いで白のツブレですね。

2にオサエてくれるなら、9の取り返しまでで、コウ付きで隅の攻め合いが断然有利になるという理屈なわけです。

例えるなら、正面から斬り合っていたところを、ふいに背後から拳銃ぶっ放されたみたいな手といった感じだろうか・・・たった一手で相手を戦意喪失させる破壊的且つ芸術的な一手だと思う。
どうしてもこの碁を並べてみたくなったのでちょっと調べてみたのだが、囲碁の棋譜でーたべーすの検索では、残念ながら見つからなかった。

碁の魅力は手筋の美しさにこそあると思うが、人それぞれ感性が違うので、どんな手に魅力を感じるかもまた変わってくると思う。そして自分が理想とする手が自分の碁を形作っていくわけだから、神の一手は碁打ちの数だけ存在すると私は信じている。
神の一手=碁を極める、というのが通常の解釈だと思うが、そんなことは私には到底無理なので、「岩田打ち殺し」のような妙手を打つ(打てるようになる強さを身に付ける)というのを目標に、日々碁を打っている次第である。

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