将棋漫画って割と多く出てるけど、実は今まで『ハチワンダイバー』ぐらいしか読んだことがない。『三月のライオン』は一巻だけは読んだので、続きを読みたいと思ってはいるんだけど。
ハチワンは初期のころは楽しみに見てたけど、鬼将会ビルに入ったあたりからテンションというかノリについていけなくなり、熱が冷めてしまった。将棋以外の場面が増え、肝心の将棋のシーンも素人目にくどく感じてきたのが原因と思われる。
私個人としては、澄野との三面指しの時ぐらいが一番面白かった。
澄野の一直線の攻めは素人の私でも分かりやすかったし、私も似たような指し方したことあるけど、普通は受けられてそう簡単には勝てない。ところが澄野はそれで菅田を粉砕したわけだから、強さがよく伝わってきた。次の澄野とそよの対局も熱い! 斬り合ったあげくの最後の鬼手も、何となくだが凄さが実感できた。
要するに将棋初心者の私には、初期の頃の方が対局シーンが分かりやすかったし、マジメに将棋やってた印象なのである。
そのハチワンダイバーに、おそらくは作者の将棋観を表していると思われる印象的なセリフがある。
ゲームセンターで菅田がコンピュータと指す場面で、もし負けたら「将棋を指す意味が少しぼやける」というようなことを言っている。この回が描かれた時点では、まだコンピュータ将棋がアマ高段ぐらいのレベルだったんじゃないかと思われるが、将棋電脳戦でプロがコンピュータ相手に負け越した今となっては、結構重いセリフとなっている。
羽生さんなどのトップ棋士は、コンピュータと指すことにあまり積極的ではないようだけど、もしかしたら菅田のように、負けることによって将棋を指してきたことの意味や指していくことの意義を見失いかねない恐怖のようなものを感じたりするのかな、などと考えてみたりする。だとすれば、勝つことのメリットよりも敗けることのデメリットが大きすぎて、とてもコンピュータと指す気にはなれないだろう。
また、将棋ファンの人の中には、電脳戦でのA級棋士の敗北によって、そういった感覚を抱いた人もいるのかもしれない。
しかし私は、もしまた電脳戦があるのであれば、次は是非とも渡辺竜王に出てほしいと思う。今実質的にトップの実力を持っているのは渡辺竜王らしいし、名人の看板を背負っている森内さんや羽生さんよりも適任だろう。過去にはコンピュータと指したこともあるらしいし。
上でトップ棋士の心境を理解したようなことを書いておいて、無責任なことを言うなと思われるかもしれないが、たとえ負けるにしても勝てる可能性が残っているうちにやっておいた方がいいんじゃないかと思うのである。まあ、面白そうだから見てみたいというのが、本音といえば本音だけど。
ここまで部外者の立場で好き放題語ってきたけど、囲碁でもあと10年20年もすれば人間が勝てなくなるのではないかと言われている。
でも、もし囲碁でトップ棋士がコンピュータに負けたとしても、私は別に何とも思わないかもしれない。あの嫌になるほど強い中国の10代棋士や、セドルや古力なんかをまとめてねじ伏せることが出来るようなものが本当に現れるのだとすれば、それを待ち遠しく感じたりもするからである。開発者の人は、まさしくそういった強さの限界や真理の追究にこそロマンを抱いているのだろう。
とはいっても、あっさり人間越えを果たされてもそれはそれで詰まらないので、まだしばらくは棋士側を応援するつもりだけど。追いつかれるまでは囲碁の持つ奥深さを信じ、トップ棋士の敗北が現実味を帯びてきたその時には、コンピュータの持つ可能性に期待する。
といった感じなので、私の場合、囲碁や棋士に対するロマンや幻想を打ち砕かれてショックを受けたり、碁を打つ意味を感じなくなったりするということは、あまりないと思う。虫がいいと思われるかもしれないけど、その方が気が楽だし。
囲碁とコンピュータについては、まだ言いたいことがなくもないんだけど、記事が長くなるし、今日は将棋の話ということで、それについてはまたいずれ書きたいと思います。
将棋について3に続く
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